名古屋城天守閣の意義


名古屋城は徳川幕府江戸開府以降、
慶長14年(1609年)に天下普請として築城された城である。

特にその天守閣は最新であり築城技術の粋を凝らしたものであって、
日本の築城の歴史上も貴重な存在であった。

しかし、第二次世界大戦末期(1945年5月)の名古屋大空襲において、
天守閣及び北東隅櫓、本丸御殿は消失してしまった。


戦後、天守閣の無い名古屋城では菊やサツキの展示会が開催されるなど、
市民の憩いの場として親しまれていた。


そうしたなか、名古屋市民の間に、天守閣の再建を求める声が澎湃として沸き起こり、
1959年(昭和34年)「二度と燃えないように」との市民の願いをこめて
当時の最新技術を駆使した鉄筋コンクリート造りの天守閣が完成した。

この工事はNHKプロジェクトXにも取り上げられたような工事だった。




 


総工費6億円の内、2億円は市民からの寄付によって賄われるなど、
今の名古屋城天守閣に対する名古屋市民の強い思いがしのばれる。


名古屋城は築城以来、戦火にまみれたことのない平和の城であった。
それが明治以来の戦争の歴史の結果として焼け落ち、失われてしまった。

その天守閣を二度と焼けないようにと、
鉄筋コンクリートで再建されたことは、
平和の時代を守り、
このような悲しみを生み出さないようにという
当時の名古屋市民の願いでもあったのではないだろうか。


貴重な財産である                               名古屋城天守閣に危機が

河村たかし名古屋市長は、現天守閣を木造ではないことから「偽物」と呼び、
これを破壊しようとしている。

しかし、名古屋市民にとっては、この鉄筋コンクリート造りの
天守閣こそが市民の貴重な財産であり、文化財なのではないだろうか。

ちなみに、名古屋城と同時期の1960年(昭和35年)建設された
名古屋大学の豊田講堂は登録有形文化財に指定されている。

1931年(昭和6年)に再建された大阪城天守閣(鉄骨鉄筋コンクリート構造)は
1997年(平成9年)に登録有形文化財に指定されている。


現在、名古屋城天守閣は戦災によって熱劣化したその石垣も含めて、
耐震性能に危惧がもたれている。

しかし、こうした危惧は、最新の技術による耐震補強工事で
十分対応可能であり、一刻も早く石垣を含めた天守閣の耐震補強工事を行うべきである。

このような問題は、2006年(平成18年)にまとめられた
「特別史跡名古屋城跡全体整備計画(案)」(参照)において
すでに指摘されていることであり、 8年間に渡り、この整備計画を無視し 震災時の備えを怠ってきたのは、他ならない河村市長である。

木造復元計画の問題点

・以上のように貴重な、そして市民の再建した天守閣が失われる。

・博物館を別に建設する必要がでてくる。
現在の鉄筋コンクリート製の天守閣は、内部が博物館相当の建物となっており、
貴重な展示物が保管、展示されている。
しかしこれを木造で復元すると、保管施設を別に用意しなければならない。
また、木造の建築物では現在のような展示も困難になる。

・東京オリンピックまでに、またはその2年後までに再建をとのことだが、
東京オリンピックのメイン会場となる新国立競技場は屋根を木造で造ることとなっている。
それによって、今後、オリンピックまでの期間は、国内において木材需要がひっ迫し、木材価格が高騰することが予想される。

・熊本に起きた震災によって熊本城の重要施設、石垣が被害を受けた。
熊本市民の願いも強く、熊本城の再建が急がれている。そうしたなか、名古屋城を木造復元しようとすれば、城郭建築の専門家を名古屋城と熊本城で取りあう事となり、熊本城の再建を妨害することになるのではないのか。

・河村市長は早く木造復元を行わないと、国内の木材が無くなると話しているが、現計画においても一部外来材を使うとされており、すでに国内材だけで再建することは困難である。

・現計画によれば、天守閣の木造復元の後に、石垣の耐震補強が考えられている。
現計画の505億円と言う費用には、石垣に対する補強や修繕費用は含まれていない。
木造天守閣建築時に、または、復元がなったとして、石垣の補強がなされないうちに震災に見舞われた場合、それらはすべて無駄になってしまうのではないのか。土台の補強もしないうちから、上物の天守閣だけを木造復元するという計画には無理がある。

・河村市長は名古屋城天守閣復元には多数の資料、図面があると説明しているが、専門家の分析では、この多数の図面、資料の間には矛盾があるものがある。こうした問題を整理しないまま再建するとしても、それが復元と言えるのか疑問である。

・また、そうした資料、図面(実測図)は外形的な図面である。内部構造を記した図面は少なく、実際に建築するに当たっては再現ではなく、今日的な設計で再現する以外にない。これも文化財を復元するという視点からはあまりにも拙速な対応である。

・木造復元をするとなるとエレベーターなどを設置することができない。バリアフリーの施設とはならないのではないのか。また、説明では小さなエレベーターを設置するともされているが、そうなると、それは木造復元と言えるのか?

・木造復元で、本来の設計のまま建築するとなると、採光が図れない。
名古屋市の来場者予測は年間360万人、一日1万人が訪れる施設が、5階建てであるにも関わらずエレベーターもなく照明設備も十分に無い、このような事態が正常な事とは思えない。

・このように、一日1万人が訪れるとした場合、総木造づくり、五層五階建ての建築物の火災発生時の避難誘導はどのようなものになるのだろうか。そもそも現在の建築基準法では木造5階建ての建築は許されていない。このような建築物に一日1万人を受け入れる事が可能なのか。(松本城2015年入場者 94万8千人、犬山城 53万人)

・天守閣を木造復元するとなると、銅版暮き屋根、漆喰壁を再建することになる。
こうしたエクステリアの維持管理はその特殊性からも、高コストとなることが予想される。現計画にはこうした考慮がなされていない。